肌の色

ついにその時がやってきました。

2番目に娘が生まれたとき、思わず目が丸くなりましたがミャンマーの家族のだれよりも褐色。「なぜに!?」と思いましたが、これまた神様の偶然と思うことにしておりました。

そして6年間。これまで特に、誰に、何を言われることもなく過ごしてきました。でも小学校1年生に上がったこの春、クラスメートとなった男の子に言われたそうです。

「●●って外人!?」
「日本とビルマのハーフだよ」
「でも黒いじゃん」
「・・・」

ハーフといえば、最近でこそ脚光を浴びておりますが大多数は西洋人とのハーフ。ごく一部褐色系の人がいるだけでしょう。。

こういうことが起きるのが嫌で、国籍やハーフが多くすむ町に引っ越す機会をうかがっていたのも事実です。今年の1月からは念願かなって、帰国子女受け入れ校で、地域内にも外国人学校もあるような地域の小学校が学区の地域に引っ越すことができ、喜んでいたところです。

「強くなれ」

と本人に言うのは簡単ですが、彼女が望んでそうなったわけでも、誰が操作したわけでもないので、できれば肌の色やハーフであることで何か言われる環境は避けたかったのです。

世の中、難しいものです。本人は学校に行くことは「楽しい」と言いますが、先生の方からは「溶け込んでいない」という言い方で指摘されます。先生ご自身はベテランの方のようですが、現在の学校には今年から転任してきたばかりだそうです。

本人には2つだけ約束してもらって様子を見ることにしました。

(1)「挨拶は大きな声ですること」
(2)「大きな声で返事をすること」

まず、このあたりから「溶け込む」ための行動としてもらいたいと思います。

しかし本音では「溶け込む」って何!?って言いたいところですが、日本は多様性を許さないという意味では「溶け込む」必要があるかもしれません。でも見た目が違うと「溶け込めない!?」のかしら。

本人が「楽しく生きる」ことが一番大切なので、もし苦痛に思うような気配があれば、もっとも娘にとって良い環境を探す心づもりをしておきます。


今日子2008年05月06日 18:36

2つの約束、すてきですね。あいさつができるとまわりを明るくします♪

うちの、今5年の娘は去年、ちょっとしたできごとがありました。
娘もうちの4人の中では一番浅黒くて、祖祖父の血を引いたんだろう、と思っているのですが、外見ではなく、クラスのやんちゃ坊主が、担任の書類を見て、父親の欄がカタカナだってことに気づいて

「お前の父ちゃん外国人だ(ビルマ人といったのかどうかわかりません)」

と言いだしたらしいんです。

娘がなんと言ったかわかりませんが、何かの折に「パパに学校行ってもらおうか?」といったら「パパが来ると馬鹿にされるかもしれないからかわいそう」と言ったんです。ちょっとショックでした。

私の周囲の友人は、私たちの家庭環境は知っているし、もともと私がミャンマーを大好きで、ミャンマーに家族がいることを誇りに思っているし、夫のこともよく知っていて、別に日本人だろうがミャンマー人だろうが、変わらず付き合えますね。

でもそうじゃない人たちがいることも分かります。

「外国人をバカにする人は、世界にはいろんな人たちがいるってことを知らないのかもしれないね。あなたは、日本にも家があるしミャンマーにも家があるし、アメリカにも友達がいるよ。それはすんごく楽しいしいいことだよ」と話しました。

まだまだこれから1つ1つ大きくなるごとに、子ども自身いろいろ考えることがあるでしょうね。

いろいろなことを体験しながら、プラスに捉えられるような子どもたちになって欲しいなと思います。

みょ~みょ~2008年05月06日 20:19

子供ってものすごく素直だから、思ったことはすぐに口にしてしまうのですね。

うちも肌の色はかなり黒いほうなんで、そのうちに娘さんと同じような経験をするんだろうな~、って思います。

でも、「溶け込んでいない」ってのは何なのでしょう?

うちの娘なんて思いっきり溶け込んでないし、(毎日誰とも遊ばなかった、って言ってるんで)。

私の小学校時代も、いつも通知表に「協調性がない」と書かれていました。たくさんの友達のワイワイ仲良くするのが苦手で、数人としか遊んでなかったからでしょう。

でも、協調性がない=自分をしっかり持ってる!などなど、良いほうに捉えればいいんですよね。

u-zeekwyetさんの娘さんは学校が楽しいのだから、大丈夫ですよね!

u-zeekwyet2008年05月06日 22:12

今日子さん、みょ~みょ~さん、ありがとうございます!

本人は明日から「2つの約束を守る!」といっています。

学校の先生もいろいろな方がいらっしゃるので、私は「先生だから」といって一方的に正しいとおもわないことに昔からしています。他の人と何か考え方や行動が違うからといって「溶け込んでいない!?」という言い方は、いま一つ解せないままです。

生徒ひとりひとりの良い所よりも、悪い所に目が行ってしまい、自分の担任しているクラスが「統率がとれていない!」というところが気になるタイプの先生かもしれませんね。

でも、かっこよすぎますが、「うちの家族は●●ちゃんの味方だよ。でも先生がいうことも正しいところがあるんだから、まず2つの約束を守ろうね」と言ってあります。

いざとなったら、ヤンゴン日本人学校もあるので(笑)気楽に、気楽に成長を眺めていきたいと思います。

#お兄ちゃんと末娘(写真)はなぜかいろは白いんです。。。隔世遺伝?というんでしょうか。ひいおじいちゃんはいかにもビルマ的な肌色だったとビルマのおばあちゃん(義母)が語っておりました。。

日緬ハーフの会では「多様性」をキーワードにしていきましょうね!

morning_star☆2008年05月08日 14:16

日本では、多様性を受容すると思いますけぜ~。

表面的には排他的に見えても、結局のところ・最終的には他所よりも受容しちゃう。

「結局のところ」とか「最終的には」というのがキーワード。

初めはガイジンさんを遠巻きにジロジロ見るが、誰かが意を決してイジりに行き、怖くないと判れば受容しちゃうみたいな様式であるよーな印象が。

初っ端から握手してくるような文化でもない。

だが、いつまでも初っ端のイメージに固執するでもなく常に変質し続ける文化。

  1. 即座に仲良くなるが、「最終的な線引き」というものが厳然と在る
  2. 最初は様子見されるが、「最終的な線引き」というものが存在せず、どこまでも果てしなく溶け込んでゆける

日本の文化ってわりかし(2)という感じがする。(時間は要るよね)
違和感が残ってたとしても、「ん~…。さりとて、出て行けとか、死ねというわけにもいかないし…」が最終結論になりやすい。

「異端に対して最後まで強硬に対峙する」なんてのはそぐわない。

でもさ、時間をかけるとなると、わりかし受け入れられた側が、“元の色を棄てはじめる”ことも自然に起きるし、「元の色を失わせる=多様性を排斥してる」ように見える、と。

morning_star☆2008年05月08日 14:34

あとね、「まだまだ幼い子が異端として扱われる経験」って、ひでぇ話だと思うかも知れんけど、そうでもない気がする。ひとつの大事な経験というか。

Uパパが愛情たっぷりだからそれでもう問題ないというか、鷹揚に構えときゃいいんじゃないっすか?オタオタしないでさ。

そうすれば、その負の経験でさえ、その子の将来の糧になる気がする。

ガキんちょは残酷で、平気でイジメとかやりよる。んでも、それはそれ。

いじめる経験も、いじめられる経験も、得意になって鼻高々の経験も、見栄を張って失敗してなじられる経験も、いろいろやったらいいと思う。

芽を摘み取ったりしないで。オトナの世界のミニチュア版であって、なんでも経験させとけばいい。命まで盗られやせんよ、と。

陰でえげつないことをやる、「もはやイジメと言えぬ水準のイジメ」は危ないので撲滅する必要があるが、ガキンチョワールドのイジメなんか在って良い。

逆に、オトナになって初めてイジメや競争に晒されるなんてことでは生きていけないんじゃないの?なんてな。

『私は「先生だから」といって一方的に正しいとおもわないことに昔からしています』なんてのは、本質的にかなり鷹揚とした態度だと思うんですけど。

あと、『溶け込んでない…って、それってむしろ先生が的外れなことを言ってんじゃねーの?』てな反応も。

morning_star☆2008年05月08日 14:48

みょ~みょ~さんの、

『協調性がない=自分をしっかり持ってる!などなど、良いほうに捉え』

ってのはどーなんでしょ。

それもひとつの面だから間違いではないけれど、つらいものはつらいんです。

もしも子供本人が辛がってるとしたら、「つらい」というものにフタをしたりかき消したりするのではなく、いったんは「つらい」というのに共感してあげて、おもむろに(たいした根拠も意味も無く)「だいじょーぶ、だいじょーぶ、命まで盗られやせんよ」という勇気付け(?)のほうが状況に即してることもあるかもしれんですよ。一概には言えんけど。

まあ「やりかた」は色々ですし、その時その時の子供の成長具合や状態に合った接し方を色々やってみるのが良いかな~、と。

そーゆー事してると、子供の目から見て「ウチの親は言う事に一貫性が無い」という風にも映るかもしれんけど、根本的な部分(愛情の強さや、子供の成長を願う態度)にブレが無いなら、それでもう充分な気がする。

u-zeekwyet2008年05月11日 19:09

morning_star☆氏、筆がはしるのぉ。

日本は多様性を受容してるというのは、また種類が違うのよ。

ことさら人間の多様性という意味では、自分のコミュニティ以外の人には「ひとしく差別的」という意味で、「特定の人や人種への差別がない」とピーターフランクルさんなどは言っているね…。

多様さのあり加減が、違うのかも知れんよ。アメリカの人などは「教養ある人として差別的はいかん」と頭では考えて分かっている人でも、やはり異人種の写真見たときに嫌悪感を感じる部分の脳が活性化するらしい…。

なんとか折り合いをつけてやっていくしかないのです…。

morning_star☆2008年05月11日 21:51

自分のコミュニティ以外の人には「ひとしく差別的」

まさにそういう気がする。

…が、それはピーターフランクルさんの誤解という気が。

ピーターフランクルさんが感じた疎外感の正体は、ひたすら日本人の「警戒」によって生じるものであって、「差別」ではなかったりするんじゃねーかな?と。根源的なモノをよく見てみれば。

自分がある黒人米国人と友達になれたら、以後ほかの黒人米国人もOK。

んでもベナン人はNGだったりする。…で、白人米国人はまだNGとか。

ミャンマー人と親しくなる以前は「ミャンマー人?」みたいな感覚を持ってたりするが、いざ恋人同士になったりすると他のミャンマー人がぜんぜん怖くなかったり。(あいかわらず現地の言葉もわかんないくせに、たったひとりのミャンマー人と親しくなっただけでもう大丈夫だったり)

そーゆー意味では直感的にというか、観念的にダメなんじゃないかな?「ひょっとしてコイツらには日本の常識は通用しないんじゃないか?」と思えちゃったら、いきなり不安になったりしてダメ…とか。

どこの国の人だって、異なるコミュニティの人に対して恐怖感を持ってたりするんだが、「自分の行動があからさまに”挙動不審”になるほどの萎縮はしない」…ってことなんだろうね。

なんつーの?日本人ってガイジンさんに対する恐怖感ってのかな?
わりと誰に訊ねても、その手の感覚を持ってたりする。
外観にウチらとまったく違いのない支那人でさえ、実際に中国語をしゃべってる姿を目の当たりにして(相手はべつに威圧するつもりも無いのに)勝手に圧倒されてたり。

日本人ってのは「そういう文化」で生きてんだろね。全体主義的に運営出来てるときがいちばんシアワセというか、平和というか。